
利尻岳 東北稜
四十九日も過ぎて納骨も終わり、ひと段落…
「葬式は身内のみで、墓はいらない」が遺言ではあったのだが、そうもいかず…
父が亡くなり自宅に戻ったその晩、俺はその枕元でひとり焼酎を飲みながら、何も言わなくなった親父に語りかけていた。そして、「じゃあ親父、行って来るからな」それがその亡骸への最後の言葉となった。
翌朝、俺は通夜も告別式も欠席して利尻岳へ向った。
Deepなお客さんたちと1年前からの約束であり、Very Inportantで外せない仕事だった。
4日間の仕事を無事終えて札幌に戻ると葬儀は全て終わっていたのだが、ここからが俺の仕事…というか
親父の遺言が俺に託されていた。
3000冊はあろう本、とっても俺は着ない背広、山の写真や古い年賀状の束、額に入ったお袋の習字作品、俺が子どもの頃に使っていた文房具やおもちゃ、そして親父の山装備…
故人以外には息子である俺にとっても、ただのやっかいな代物だ。これらを吟味分別…
人の世のはかなさと諸行無情を感じながら、作業に追われる日々を過ごす
人は何も持たずに生を受け、多くの物や思い出を手に入れながら生き、そして多くのものを残しながらも何もあの世には持って行けない…
遺品を整理していると、親父の生きた85年が克明に浮き上がり、俺に話しかけてくる。
いかに生きるべきか、そして生きる時間の大切さを知れと…そしてその魂は俺の中で生き続ける。
仏壇も神棚も取り払ったガランドウの空き家の中で考えた。俺もまた残りの人生をカウントダウンしなければならないのだと…。(MY)
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