2011年03月25日

希望の唄

 P3240008.JPG夜中に窓を叩く音に目を覚まされた。「家が水に浸かってますよ!」
昨夜から降り出した雨が増水して、裏の川が氾濫したようだ。お袋は身支度を済ませ、小さかった俺を連れて高台の映画館へと避難した。消防団にも所属していたオヤジはとりあえず、見回りに出掛けて行った。
明け方4時、薄暗い雨降りの中、避難所への坂を登って行く。迎えの豆腐屋さんは朝の仕込みをしていた。映画館に着くと避難してきた人たちが何人もいた。湿っぽく窓さえない映画館の中は退屈だった。気を利かせて、映画を上映してくれるというサービスはなかった。夕方、炊き出しのおにぎりと冷えて脂身の多いとんかつがどっかから出てきて、ひどくまずく感じたのを覚えている。
夜、オヤジがあっちこち擦り傷だらけの泥だらけで避難所に顔を出した。何人かの人を土砂の中から助け出してきたらしい。豆腐屋さんは、土砂崩れに巻き込まれて亡くなったそうだ。

2〜3日して水が引いた頃家に戻った。自宅の上流側に立っていた2本の電柱に材木置き場から流れてきたカラマツの木が20本くらい引っかかっていて、偶然できた堤防が家を守ったくれたのだ。
この水害で一晩に10人の人が亡くなった。ミヤシタ少年9歳の時の話である。

このたびの震災や放射能漏れから避難所暮らしを余儀なくされている人たちは、いったいいつまであの不自由な生活が強いられるのか…

こんな時、誰か歌え!誰もが口ずさむ希望の歌を…
戦後の復興の時に「りんごの唄」をみんなが歌ったように、坂本九の「上を向いて歩こう」や「千の風」に多くの人が癒されたように…

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こういう選択もありだな。


posted by 宮下岳夫 at 12:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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